タイ~バンコク大学(外間  睦常)

経営学部経営学科3年次生 外間 睦常 1. 自己紹介 「歯が痛い。歯が痛い。あぁ、親知らずを治しておけばよかった。」タイへ向かう飛行機の中で私はずっとそのことばかり考えていました。もう皆さんは親知らずを抜きましたか?私は怖くて抜かなければならないのに、日本で抜きに行けませんでした。私は今いつこの親知らずがまた痛み始めて、我慢できなるくなるかわからないので大ビビりです。ビビりエピソードはその他にもあります。留学へ行く少し前の話です。私は友人を引き連れ、大阪府箕面市にある川に遊びに行きました。そこには滝があり、上から飛び降りる事ができます。「みんなで飛ぼう」ということになったのですが、私は恐怖のあまり、3時間程その場に立ちつくしてしまいました。結局、日が暮れてしまい、飛ぶことができませんでした。自己分析すると私はゆとり世代特有のぬくぬくとした環境で育ってきた受け身型大ビビり人間です。 Chikatsune1.jpg 2. タイ(バンコク)について  そんな私がタイへ留学に来ています。もうすでに1ヶ月半が過ぎようとしています。私が住んでいる地区はほぼバンコクの中心に位置しているので利便性が高く、ほとんどの物が揃っています。立地的に日本人の駐在員の方が多く住む場所ということもあり、道を歩けば日本人に出会います。そのためタイ料理レストランより日本食レストランが多いのではないかという程あります。したがって、私が想像するタイのイメージとは真逆の現実でした。そのため、カルチャーショックというものになかなか出会いません。いや、逆にそれがカルチャーショックという捉え方もできます。しかし、唯一まともなカルチャーショックがありました。それは雨が降るとタイ人は頭にビニール袋を被るということです。傘をさす人はあまりいません。雨が降るとみんな一斉にビニール袋を帽子のようにします。もちろん髪の毛以外はずぶ濡れです。意味がわかりません。 Chikatsune3.jpeg 3. バンコク大学について  私が通うバンコク大学はもちろんバンコクにあります。しかし、バンコク大学にはキャンパスが2つあり、バンコクからやや離れているところ(車で2時間程)がメインキャンパスらしいです。私はこれとは別のインターナショナルカレッジに通っていて、そこはバンコクのど真中にあり、立地は抜群です。しかし、私が入学前に見ていたバンコク大学のホームページに載っているすごく綺麗で現代的な建物はすべて遠い方のキャンパスの写真なので、期待していたキャンパスはそこにはありませんでした。すごく残念です。 Chikatsune2.jpg    インターナショナルカレッジなので留学生が半分、タイ人が半分ほどの割合です。タイ人の性格は非常に日本人に似ており、協調性を大切にしていると思います。そのためか、授業中の発言はかなり控えめです。一方、留学生は非常に主張性が強く、ほとんどの授業中の発言は留学生がしています。これは留学生の多くが西洋人だからかもしれません。授業は水曜~金曜入っていり、土曜~火曜が休みです。休日が週に4日もあります。しかし、プレゼンテーションが週に2~6回はあるため、授業外での勉強に時間を多く費やしてしまいます。結果として大阪学院大学で学んでいた時よりも、5倍強は勉強していると思います。こちらでのプレゼンテーションの内容は変わっているものばかりです。ある授業では教授がみんなに200バーツを渡し、それを元手にお金を増やし、どう増やしたかをマーケティング用語を使いプレゼンするというものでした。その他の授業でもそれぞれが私にとってはすごく新鮮な内容のものばかりなので、とても楽しく受講しています。 4. タイでの休日の過ごし方  土曜日から火曜日が休みなので、休日は旅行に行くことが多いです。なるべく1人で行くようにしています。この前の旅では死ぬかと思いました。その時に綴ったメモをここに紹介します。 「今が何時なのかわからない。ここがどこなのかもわからない。わかることは大分遠くまで来てしまったということぐらいである。  今朝ふと思い立って、ほとんどなにも考えずに自転車に乗り、フアヒンを目指した。理由はない。強いて言うならば刺激が欲しかったからである。そのため、スマートフォンなどの電子機器類やその他の便利なものはアパートに置いたままにした。持っていくと自分に逃げ道を作ってしまうと思ったからである。持ち物は僅かなお金とペンと紙のみ。フアヒンを目的地に選んだのはほとんどなにもその場所について知らないからである。知っていることはフアヒンという名前、バンコクからはかなり離れている、ということぐらいである。 (長いのでここは割愛します。)  長らく降った雨が止むと太陽はもう沈みかけていた。今までよく考えていなかったが、これはやばい。直感的に危機感が溢れでた。その頃にはもう工場はほとんどなく、というか建物自体がほとんどなくなっていき、人影も消えていた。辺りはどこまでも田園が広がり、雑草にしか見えない萌葱色の植物で見える限りすべて埋め尽くされていた。そして、なぜか野犬を見かける回数が増えてきた。タイの野犬は日本のペット犬とは完全に異なる。日本の犬のように癒しを与える要素などゼロであり、獰猛な性格はまさに野獣である。臭いは強烈で、眼は血走っており、近づくと全力で追いかけてくる。私はこの日の夕方、一体何回犬に追いかけかれたのか、わからないぐらい追いかけられた。およそ12~14回程だろうか。すぐ諦める犬もいれば、執拗に追いかけてくる犬もいる。追いかけられる度に死への恐怖がよぎる。 (長いのでここも割愛します。)  もし携帯を持って来ていたら今ごろアプリで自分の位置情報を確認し、アプリでタクシーを呼び、アプリでホテルを探し、アプリで美味しいレストランを見つけて、こんな酷い体験なんてしなかっただろうと思った。しかし、それは本質なのだろうか。いかにも自分の力、知識だと思っていないだろうか。それが当たり前だと思っていないだろうか。いつのまにか使う側から使われる側になっていないだろうか。本質はググってもでてこない。例えば、多くの大学生は将来何がしたいのか分からないと悩んでいる。そして、そういう人に限って、自分探しの旅をする。旅先の候補をネットで探し、レビューなどの評判が良いところを基にプランを組み立て、MacとiPhoneを装備し、出発する。そして、旅先ではサイトの写真どおり、レビューどおりのものを流すように観光し、満足する。そして帰ったあと「探していたものがみつからなかった」と言う。それはまるで答え合わせをするかのような旅ではないか。そんなもので自分がしたいことなんて見付かるのだろうか。そもそも「見付ける」という表現がおかしい。本質的要素を含む物事はあるものから探し見付けるというより、創るに近いものだと思う。そのためには他人の情報に流されず、自らで創造しなければならないのではないか。有名な誰かが言っていた、困難に直面したときが人間の成長できる機会だと。しかし、今ある多くの困難はiPhoneで解決できる。この便利なものに対して、どう強弱をつけるかが大切だと思う。天国にiPhoneは持っていけない。  これはあくまで私の価値観なので、偏った意見であるかもしれない。しかし、私は面白い起業家になりたいので、そういう価値観を抱いている。どこに通じているかもよくわからない危険が多くある暗闇をひたすらココだと信じて進む。まさに起業とはそういうことではないか。そこには客観性は介入しない。自分で創造するしかない。 ちなみにこの日は歩道橋で一夜を過ごした。」 5. 来月の目標  私は「かりーふぉーにゃーくらぶ」というカレーサークルに所属しています。そこで来月はインドに行って、スパイスの勉強をし、美味しいカレーを作れるようになりたいと思います。