タイ留学日記

作林 光明(2009年国際学部卒業) 今僕は、タイ行きの飛行機の中でこの文章の最終チェックをしています。今回の訪タイが留学生活の最後だと思うと、少し寂しいです。しかし、「寂しい」と思えることは、“幸せな留学”だったからだと思っています。 留学前の僕は、大学の講義に出席し、休み時間は本を読み、講義が終わったらアパートに帰ることをただ繰り返す平凡な学生生活でした。ひょんなことから、3年時に後輩からタイのボランティア活動に誘われ、「今、行かなかったら、こんなチャンスは二度とない」と思い、勢いで参加しました。1週間ほどの滞在でしたが、タイの暑い気候、辛い料理、人の優しさ、自由と危険が入り交じっている街の雰囲気、すべてに惹かれてしまいました。 帰国後、「タイを学問的にもっと知りたい」と心から思い、その1年後、周りの同級生がリクルートスーツを着て、企業に飛回っている中、僕はタイのバンコク大学インターナショナルコースに交換留学しました。そして現在まで、大学院も含め、計4年近くもタイのバンコクに滞在しています。なぜ交換留学1年間の後で日本に完全帰国しなかったのかと言いますと、悔しかったからです。なーっんにもできませんでした。話せない、聞けない、読めない、書けない、モテない、の五重苦でした。 そのため、その後の数年間は、だらだらコツコツと英語で専門科目を勉強しました。人間不思議なもので、4年間も継続するとそれなりに真面目になり、毎日(ほぼ)英語で専門科目を勉強するようになりました。交換留学時の専門科目はタイの文化、歴史、政治、経済を包括的に勉強し、大学院では、学部時のタイの幅広い知識がタイビジネスに役立つと思い、同大学のMBA(経営学修士)のマーケティングを専攻しました。 1日の流れとしては、朝起きてBBCを流しっぱなしにしながら、講義の教科書を読み、自分がプレゼンするパワーポイントを作ります。朝ご飯を食べた後、15分ほど仮眠し、起きたらTOEICのReadingパートが映像とともに流れネイティブが発音するマニアックなDVDを見て、聞いて、発音します。発音のコツは、ネイティブの口と舌の動かし方を見て、彼らの発音をマネすることを意識しました。午後は、大学の図書館かアパートの部屋で、自分の専門分野“以外”の本の読書に没頭し、講義が始まる1時間前、食堂でみんなと軽食を取り、夕方6時から9時まで大学院で講義を受けて、帰宅。 こんな生活をだらだらコツコツと続けた結果、留学当初はクラスメートや教授の顔など一切見ることができず、メモとにらめっこをしながらプレゼンをしていた僕でしたが、未だに発音はジャパニーズイングリッシュですが、今ではメモはお尻のポケットにしまい、プレゼンができるまでになりました。 作林プレゼン プレゼンの様子(本人中央) しかし、4年間の留学で得たものは、英語でプレゼンができることだけではなく、国籍、年齢、性別、宗教が違う仲間達と、“講義でのグループワーク作業”や“講義外でも楽しく遊ぶ”という「人間力」を養ったことです。「やるときはやる、遊ぶときは遊ぶ」という考え方“ではなく”、研究と遊びの境界線を持たず、毎日すべてのことに全力で前向きに楽しんで取り組むことができるようになり、「なんだ、勉強も遊びと同じじゃないか」と少し肩の力を抜けるようになりました。 作林プール 作林レンズ しかし、大学院修了の目処もついて、気がつけばなんと28歳 。親の脛をかじるというよりも、しゃぶり尽くした学生生活を過ごしたため、正直、かなり自分の将来に不安を抱えながら、日本で就職活動をしていました。 しかし、そんな不安も杞憂に終わり、現在は、無事に日本企業の工作機械部品メーカーの就職先に決まりました。自分の長所に「自信と根拠」をしっかり持って、それをどう入社してから活かすのかを常に自問自答し、積極的に就職活動をしたことが良かったのかと思います。もちろん運も良かったです。本社採用ですが、日本で数ヶ月の研修後、タイの事務所に出向する予定です。 4年前、僕が初めてタイを訪れたとき、すでにタイと日本は、ビジネス・文化の面での関係がかなり深かったのですが、現在、両国の関係はもっと深まっており、ビジネスの面だけを見てみますと、タイに進出している日本企業は数千社もあります。だからといって、“就職のために”タイへ留学することを僕はお勧めしません。自分の留学を想像したとき、ワクワクする国を選んで下さい。 タイ留学は、想像より厳しいですが、主体的に動けば、想像より大きな収穫があります。もしタイに留学されて苦しいことがあっても、悲観的にならず、ワクワクする心を大切にして目標に向かって邁進してください。 皆さんが僕の文章を読んで、「タイって面白そうな国だな、行ってみるか」と思っていただけたなら、嬉しいです。いつかタイでお会いできるといいですね。 作林夕日