ドイツ~マインツ専門大学(中村 文哉)

外国語学部2年次生 中村 文哉

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私は昔から空を見上げることが好きだった。何か嬉しいこと、悲しいこと、悩みごとができるといつも私は空に話しかけていた。空は私にとって良い「相談役」であった。空はまるで私の問いかけに答えるかのように、姿、形を変えた。今日見た空は明日には違った「顔」になる。同じ「空の顔」は二度と見ることができないからこそ、人はそこに魅力を感じ、癒され、写真を撮ったり立ち止まって目に焼き付けたりする。しかし人は苦しかったり、悩んだり、絶望を感じたりするとよく下を見る。うつむきながら歩く人を見ると何か辛いことがあったのか思い、その姿に負のオーラさえ感じてしまう。私もそのうちの一人だった。 

留学が始まり、授業が進んでいくうちに周りの学生との「違い」を痛感していた。語学能力、思考力、表現力そして知識量に至るまですべて劣っていた。彼らの授業に対する姿勢は日本の学生とは全く違い、自分の考えを明確に持ち、それを英語で伝える語学能力が備わっていた。大学はいつしか私にとって楽しい場所ではなくなっていた。大学に向かう時は「学校に行きたくない」、アパートに戻る時は「うまく学生と英語で意見交換できなかった」と悔やみ、焦り、家に着くなりその憂さ晴らしのように授業で分からなかった単語を辞書で調べる。そしてまた朝になりと、このような日々を繰り返していた。自分はそれなりに英語を話すことができると思っていたことを恥ながら、劣等感に苛まれていた。それはただ英語を流暢に話せない自分に対してではなく、コンプレックスのせいで積極的に発言できなくなってしまった自分にである。自分の発音を気にしながら話したり、聞き取れなかったのにあいまいに返事してしまう自分にフラストレーションを感じ、みんなに早く追いつきたいと思うあまり、いつしか周りが見えなくなってしまっていた。 

ある日の朝、霧が濃く、夜に雨が降っていたらしく水たまりが多かった。いつものように支度をして、相変わらずどんよりとした気持ちで大学に向かった。その日の授業も思うようにいかず、うつむきながら歩いていると、一つの水たまりが赤く光っていることに気が付いた。しかしすぐにそれが水の色ではないことに気が付いた。それは空の色が反射して水面を照らしていたのだ。見上げると、空が見たことがないほど赤く燃えていた。その時、まだ小さかったころのあの気持ちが込みあげてきた。あの時の私なら、必ず空を見上げて相談していただろう。何年かぶりに空を見上げ、あのころ好きだった空を思い出し、私は少し前向きな気持ちになった。そして、その空は私の心を明るく照らす灯をくれた。

人はよく「落ち込む暇があったら、前を見て進め」と言うが、少し違うと思う。前だけ見ていても問題が解決できなかったり、時間がかかったり、かえって遠回りになってしまうこともある。逆に落ち込んで下を見ながら歩いていても信じられない発見をしたり、問題を解決するための打開策を簡単に見つけられたりすることもある。そして空はいつも必ず私たちを見ていて、変わらず励ましてくれるだろう。

世界中どこにでも広がっている「空」はどの国で見ても変わらず美しかった。