1963年(昭和38年)の歴史

建学の精神を貫いて開かれた総合大学に発展

大学認可を発表する新聞各紙
(1962年12月22日)
フェニックスの庭園越しに大学校舎を望む
海上セミナー
(学院島オリエンテーション・1973年より開始)

1963年(昭和38年)1月21日、文部省から設置の認可を受け、大阪学院大学を創立しました。商学部商学科を置き、定員を60人と定めました。入学希望者に配布した最初の概要書には、次のように建学の精神を示しています。

「わが学院は産業界の発達に枢要な商業・経営・経済・貿易関係の専門的な知識と技能を受け、その研究と応用の能力を養うことを目的とし、高等学校・短期大学・大学の一貫教育において高い教養と優れた健康を併せそなえて、社会の福祉の増進に寄与する独創的で実践力に富む人材の育成を使命とする」

その後、経済学部ほか多くの学部を新設しますが、そのいずれもが少数定員制に徹してマンモス化の弊害を避けるとともに、各学部間の障壁を排し「開かれた総合大学」の理想をめざします。

世界的な視野と実践力を備える国際的教養人が、産業社会に貢献し得る学識と識見を備えた穏健明朗な優れた人材が、すでに多く羽ばたいていきました。卒業生には、司法第一次、公認会計士第一次、弁理士予備各試験が免除され、また税理士と国家公務員上級職試験の受験資格取得などの特典制度があります。このうち税理士資格取得者によって、1971年(昭和46年)に「税理士大阪学院会」が結成されました。

教育と学術の研究を通じて高度な専門的学理と実用的能力の修得のために、本学では創立当初から学界の権威者による充実したカリキュラムを編成してきました。商学部単科大学であった開学時でさえ、教員数は約70人に及び、1990年(平成2年)では160人に在籍しています。一方、指導者と学生の、また学生相互の人間的なふれあいを重視することも大阪学院大学の誇るべき特質となっており、そのため少数ゼミナール主義を堅持しているほか、1971年(昭和46年)に「安威川セミナーハウス」を茨木市に、翌1972年(昭和47年)には笠岡市神島沖合に「学院島臨海研修所」を開設して、それぞれゼミナールや課外活動の拠点としました。

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