CLUB
クラブ紹介
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クラブ紹介
顧 問 | 仲谷 芳紀 |
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コーチ | 西川 由希 |
部 長 | 西田 大地 |
学生指揮者 | |
練習場所 | スタジオⅠ |
練習日・時間 |
平日(火・水・金) 17:30~20:00 土 10:00~16:00 |
SCHEDULE
主な年間スケジュール
- 4
- 併設高校・大学入学式、新入生歓迎会、部活勧誘演奏
- 5
- 校友会式典演奏、ブラスエキスポ
- 6
- 親睦会、壮行会、オープンキャンパス、スポーツ応援
- 7
- オープンキャンパス
- 8
- 夏合宿、コンクール
- 9
- マーチングコンテスト
- 10
- 岸辺祭、スポーツ応援
- 11
- 冬合宿
- 12
- 定期演奏会
- 1
- 追いコン
- 2
- 併設高校卒業式
- 3
- 大学卒業式
HISTORY
沿 革
1968(昭和43)年 5月 | 大阪学院大学応援団吹奏楽部 発足 |
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同 年 | 関西学生吹奏楽連盟 加盟 |
1970(昭和45)年 3月 | 大阪学院大学応援団 廃部 |
1970(昭和45)年4 月 | 同好会として吹奏楽部を存続 |
1973(昭和48)年 4月 | 大阪学院大学吹奏楽部 設立 |
1973(昭和48)年12月 | 大阪学院大学吹奏楽部 第1回「定期演奏会」をサンケイホールにて開演 |
1979(昭和54)年 4月 | 文化会所属から独立団体となる |
2012(平成24)年 4月 | ユニバーシティクラブに昇格 |
大阪学院大学吹奏楽部とツェッペリン伯爵行進曲について
大阪学院大学吹奏楽部は、創設者 初代総長 白井 種雄 先生の希望で、宅間 正彦氏(当部初代部長・初代OB会 長)が中心となり第一歩を踏出しました。
ツェッペリン伯爵行進曲は、白井 種雄 先生がお好きだった曲であり、1974(昭和49年)12月23日に白井 種雄 先生が亡くなられた時に、吹奏楽部は、大学キャンパスおよび墓前で学歌・別れの曲・ツェッペリン伯爵行進曲を演奏しました。
その後、「定期演奏会」において、設立にご尽力頂いた白井 種雄 先生を偲んで、ツェッペリン伯爵行進曲を演奏するようになりました。
ツェッペリン伯爵行進曲(カール・タイケ)について
代表的なドイツマーチの作曲家、タイケ(1864-1922)は若い頃、ウルムの第123連隊の軍楽隊でオーボエ奏者でした。22歳の時に有名な「旧友」を作曲したのち、まもなくしてから軍楽隊を去り、ポツダムで警官になりました。そこでタイケは「作曲するお巡りさん」として親しまれていました。作品に対してはプロイセン風の伝統的な行進曲のスタイルにウィーンの雰囲気を取り入れた新しい様式を開拓した功労者と言われています。
「ツェッペリン伯爵行進曲」はタイケの晩年の作品で、第一次世界大戦で活躍したドイツの飛行船「ツェッペリン伯号」の初飛行に際し、ドイツの飛行船開発者として有名なフェルディナント・ツェッペリン伯爵(1838-1917)の功績をたたえて作曲されました。しかし、ドイツ以外の国では飛行船「ツェッペリン伯号」はドイツ軍の兵器の名前でもあるため、そのままのタイトルに抵抗があったのか「征服者」と改題されました。日本では、当初「飛行船ツェッペリン伯号行進曲」と紹介され、現在では「ツェッペリン伯爵」が通例になっています。ヨーロッパ諸国では、現在はオリジナルタイトルに戻りましたが、アメリカではいまだに「征服者」のまま出版されています。日本のCDなどでは、混乱をさけるためツェッペリン伯爵(征服者)」となっていることが多いようです。