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OGU Special Interview

株式会社オオツキ 代表取締役社長 大槻祥三さん

平成2年に本学商学部を卒業し、
現在は作業服・作業用品販売会社の社長として活躍されている大槻祥三さん。
企業経営に携わる卒業生で組織する大阪学院フェニックス倶楽部の会員として、
学生のキャリア形成支援にも積極的にご協力いただいています。

サラリーマン生活からの転身

 親が商売をしていたこともあり、心のどこかで会社を継がないといけないという気持ちがずっとありました。そこで、大学卒業後は、経営の見えにくい大手企業ではなく、将来的に役立つ経験ができると感じた大阪の繊維会社に就職しました。その会社では、1年目から退職する先輩の仕事を引き継ぐことになり、営業や繊維に関する知識がない中で悪戦苦闘しましたが、合繊というカッターシャツなどの素材を扱う担当に回してもらったので、現在の会社で扱うことになる商品の勉強をすることができました。
 入社してから5年間はそこで働くつもりだったのですが、2年目に会長であった祖父が他界し、社長を務めていた母親から「早く帰って来てほしい」と頼まれ、結果的に3年で帰ることになりました。
 現在の会社に来た時は、社長の息子という目で見られていると感じていたので、仕事ができて当たり前だと、自分にプレッシャーをかけていました。また、学生時代に手伝いをしていたこともあり、一般の従業員さんよりも覚えが早く、売上げの集計などもミスなくこなしていました。しかし、仕事を覚えていくうちに、自分よりも年齢が上の店長たちに対して、「長く働いているのに、まだそのレベルなのか」などと感じるようになり、他人を見下す人間になっていました。
 母親からは早く社長を継ぐように言われていましたが、自分の物差しで他人を測るような人間に従業員さんが付いてくるわけがないと思い、断り続けていました。

社長業ができているのは従業員さんのおかげ

 ある時、本社の前に1mくらいの深さの溝があるのですが、そこに母親が落ちたことがありました。幸いなことに、大きな怪我もなく無事でしたが、その時に頭を打って倒れている母親を発見し、次の日から自分が社長をしないといけないという状況が、頭に鮮明に浮かびました。そして、自分に自信が生まれてから社長をすると言っていると、いつまでたってもできないと思い、次の決算の時に役員が認めてくれたら交代すると母親に伝え、社長に就任したのが31歳の時でした。
 しかし、31歳の若造がいくら頭を下げて頼んでも、従業員さんはそう簡単には付いてきてくれず、売上げも伸び悩みました。そんな中、平成16年10月20日に台風23号が襲来し、3つの店舗が浸水しました。本当に大きな打撃を受けたのですが、従業員さんの涙ぐましい努力と仕入先様やお客様の支援のおかけで、何とか1週間で営業を再開できました。また、10月21日からは、その3店舗が営業できなくなったわけですが、残りの店舗だけで昨年の全店舗の売上げを上回るようになり、1ヶ月で黒字に転換することができました。このことがきっかけで、従業員さんに心から感謝できるようになり、彼らの笑顔が何よりも大事だと思うようになりました。
 現在は、従業員さんへの感謝の気持ちを表現するために、1ヶ月間会社のために働いてくれたことへのメッセージを、全従業員さんの給与明細に入れたり、母親の時代から継続して誕生日プレゼントを贈ったりしています。また、毎朝WEB上の掲示板に、仕事や生き方に関する考え方、日頃の労いの言葉などを書き込んでいます。

小売業から感動産業への飛躍をめざして

 今後は、会社の規模を大きくすることを目的にするのではなく、会社の財産である人を育てることが大切だと考えています。自社で働くことに喜びを感じられる従業員さんを育てることができれば、必然的に売上けも伸びていくと思います。また、人口が減り、働く人がどんどん減っていく中で、これまでの作業服屋の概念に囚われず、主婦や女性労働者にまで顧客層を広げ、年齢や性別、業種に関係なく、全ての方に感動していただけるような商品とサービスを提供していくことで、世の中から求め続けられると考えています。
 学生の皆さんには、机上の勉強だけではなく、留学などの社会勉強を通じて、視野を広げてもらいたいと思います。学生時代は二度とやってきませんし、お金が無いかわりに時間がありますので、色々な体験をして充実した時間を過ごしてください。また、社会では明るく元気で素直な人材が求められていますので、何事も前向きに考えて行動することができれば、きっと社会で活躍することができると思います。

【インタビュアー:濱川由佳、カメラマン:谷口智紀】

大槻祥三さん

大槻祥三さん プロフィール

大学卒業後、繊維会社での勤務を経て、平成5年に株式会社オオツキに入社する。前任社長の一寸した事故をきっかけに、平成11年に社長に就任。
「企業は人なり。人の成長なくして企業の成長はなし」をモットーに、 兵庫県東部、京都府北部にワークショップ(作業服・作業用品の販売)18店舗を展開する。現在は、従業員さんと共に育み「生涯現役で働ける」会社づくりに邁進している。