入試情報
Admission Information
卒業生からのメッセージ
活躍中の先輩たちの声をお届け
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勤務先在ジャマイカ日本国大使館 専門調査員(2018年2月~2020年2月)株式会社エラン プランナー(2020年9月~)比嘉 春菜さん2013年 外国語学部 卒業(沖縄県立 那覇西高校 出身)
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熱意でつかんだ留学のチャンスその先に見た広い世界
OGUに入学した当初は、ジャマイカで働くことになるとは夢にも思っていなかった。沖縄で育った私は、英語力を生かせる仕事は外資系企業か観光業、米軍基地しかないと思っていたから。そんな私にOGUは広い世界を見せてくれた。ランゲージパートナープログラム(大学で受け入れている短期日本語研修生への日本語ヘルパープログラム)とCETルームシェアプログラムで留学生と交流する機会が増え、海外が身近に感じられるようになった。念願のアメリカ留学がかなったのは、多くの学生に開かれた留学プログラムがあったから。英語力が基準に達していなかった私を国際センターのスタッフの方が熱心にサポートしてくれたおかげで交換留学に参加できた。その時のうれしさは今でも忘れられない。チャンスをもらえたからこそ、今の私がある。
留学中は勉強に励み、英語力を磨いた。そこで分かったのは、英語が話せると、将来の選択肢は無限に広がるということ。また、世界中から集まった留学生と共に学ぶ中で、世界には様々な問題を抱えている国がたくさんあることも知った。もっと世界を知りたい。世界の問題を解決する仕事がしたい。多くの人種が集まるアメリカでなら、その仕事にかかわることができるのではないだろうか。就職活動を前にOGUの国際センターに相談すると、アメリカの大学院へ留学し、専門知識を身につけることを勧められた。
このアドバイスが、私の人生を変えた。留学にチャレンジし、大学院では国際開発と奉仕学を専攻。その課程で中南米のエクアドルで研究やインターンシップを経験し、故郷の沖縄に似た穏やかな雰囲気に魅せられた。「ここで、現地の人々の役に立つ仕事がしたい」。運命ともいえる進むべき道と居場所を見つけた。中南米の開発に貢献し差別のない世界づくりを
在ジャマイカ日本国大使館に勤めていたころは、日本文化紹介行事をはじめ様々な事業にかかわることができた。
これまでの海外での経験を経て、開発途上国は外国の支援に頼らず、自国で経済・社会を回していかなければ、本当の意味で独立国家になれないと感じた。ソーシャルビジネスであれば、現地の人が主体となって持続的に経済を回していけるのではないかと考え、日本の民間企業でビジネス創出に携わることを決心し、現職に就いた。医療・介護系という前職と全く異なる分野だけれど、海外で多くの人とかかわり、共に事業を進める中で培ったコミュニケーション力は、大いに生きていると思う。
現職では、事業開発部に所属し、ビジネス創出方法を勉強中。これまでの海外経験と民間企業での勤務経験を生かして、いずれは中南米の開発に貢献できるような活動がしたい。そしてその先に、差別のない世界を作ることが目標だ。
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勤務先株式会社ヒサマツホールディングス代表取締役兼CEO久松 孝治さん2002年 経営科学部 卒業 ※現 経営学部(大阪府 大阪学院大学高校 出身)
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受け継いだ会社を急成長へ導くOGUで学んだ経営の礎
物心ついたころから、父の会社を継ぐと決めていた。「敷かれたレールを走るのはつらいよね」と言われるたびに「新幹線並みのスピードで結果を出してやる」と野心に燃えた。会社を継いでからは、社員が「無謀だ」と目をむくような高い目標を掲げて、結果を出してきた。今では目標に向かって社員が自発的に動いてくれるようになっている。社長に就任して5年目。入社時40人だった社員は400人になった。年商は8倍になり、自動車販売や運送業で急成長した会社として数々の賞を受賞した。
なぜ、それができたのか。要因は、お金を管理する力にある。経営計画は、お金の使い方や資金調達など、いわゆる財務ベースで立てる。今はその知識を生かして、物流事業のコンサルティングも手掛けている。それが可能なのは、経営に必要な基礎知識をOGUで学んだから。「情報会計論」を教わった郡司先生の著書は、今でも読み返す私のバイブルだ。
OGUでの学生生活は目まぐるしく過ぎていった。1年次に男子だけのテニスサークルを立ち上げたものの、2年次のときに父が体調を崩したため会社を手伝わなければならなくなり、サークルを辞めた。後ろめたかった。その後は、午前中は大学、午後は仕事、と二足のわらじをはいた。自動車整備から営業、トラックでの運送もこなし、母の勧めで保険を扱ううえで必要な資格も学生時代にすべて取得した。そんな多忙な生活を送っていた4年次、「最後の大会を一緒に戦おう」とサークル仲間が誘ってくれた。うれしかった。その大会ではレギュラーで出場し、近畿で準優勝。トロフィーを見るたびに、次は自分が仲間の力になれたら、と心底思う。社員とその家族が誇りに思える会社を築いていく
OGUの卒業生には経営者が多い。尊敬する先輩方と交流する中で刺激を受けたり、経営のヒントをもらったりすることも少なくない。「学生時代にこんな先輩方に会えていたら...」という思いもあって、大阪学院フェニックス倶楽部※会員として講師をすることもある。心がけているのは、学生にあこがれられる先輩になること。そのために、2023年3月の東証での上場を目標に力を尽くしている。
社員の喜ぶ顔を見るのも、仕事に欠かせない原動力。みんなが活躍できるステージを作り、そこでそれぞれの理想や夢を実現してくれたら、これほどうれしいことはない。めざすは、社員と家族が誇れる会社。それは、自分で敷いた未来へのレール。今まで以上のスピードで走りたい。
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勤務先日本航空株式会社吉田 綾華さん2014年 国際学部 卒業(兵庫県立 豊岡総合高校 出身)
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国際的な視野での学びをお客様へのサービスに生かす
客室乗務員(CA)としてやりがいを感じるのは、乗務員が一体となってサービスができ、機内全体が幸せな雰囲気に包まれたとき。降機するお客様をお見送りする際に、「ありがとう」と言ってくださる表情から、満足していただけたことを感じ取れる。そんなフライトを作りあげるために大切なのは、お客様の立場や気持ちを察し、自分にできる限りのサービスをすること。在学中は異文化に触れる機会が多く、現在の仕事でも、お客様の中には異なった文化を持つ方もいらっしゃることを理解したうえで、その立場を考えられるようになったのは、OGUで学んだおかげだと思う。
OGUで培った決してあきらめない心
国際学部を選んだのは、海外に興味があったから。けれど、留学したときに、自分の英語が全く通じなくてとても悔しい思いをした。英語でうまく話せたら、もっと自分の気持ちを伝えられるのに...。帰国して、OGUの中にあるI-Chat Loungeに通い、外国人スタッフとの英会話に慣れていった。思い切って1年間休学し、アメリカに留学しようと決めたとき、国際センターのスタッフが親身になってアドバイスしてくれ、心強かった。留学中はCAをめざし、TOEICのスコアが合格ラインに届くように勉強に打ち込む日々。何事もできないと決めつけず、粘り強く挑戦する姿勢はこのころに身につけた。今も困難に思えることでもあきらめず、別の方法はないかと考えることができている。
学生生活で身につけた学ぶ姿勢は、今も変わらない
ゼミナールの先生は国際協力が専門で、世界情勢について学べたほか、学修への取り組み方も教えていただいた。日常に疑問を持ち、「なぜそうなったのか」「なぜそう思うのか」を考えるよう指導され、深く考えることの大切さを知った。「海外で活躍したい」という同じ目標を持つたくさんの友人たちと共に切磋琢磨し、それを先生がサポートしてくださった大学時代は、今思い返してもかけがえのないものだと思う。JALのフィロソフィの一つに、「一人ひとりがJAL」という言葉がある。お客様にとっては、その方に接する一人がJALのすべて。一人ひとりがJALの一員である、という思いを常に胸に刻んでいる。今後、ファーストクラスを担当するための訓練が控えている。OGUで身につけたことを忘れず、懸命に、着実に、もっとお客様に喜んでいただけるための努力を続けて、さらなる夢をかなえたい。
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勤務先株式会社JTB小林 瑶一朗さん2018年 国際学部 卒業(滋賀県立 野洲高校 出身)
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「動かなければチャンスはない」部活動から学んだメンタル強化術
現在、福岡エリアの仕入企画を担当。ホテルに直接交渉して、仕入れする部屋や価格などを決めるのが主な仕事内容だ。旅行プランを魅力的にしてホテル側の売り上げも伸ばすためには、提案力と行動力が何よりも重要だと感じている。
今の仕事に生きているのは、大学時代に所属していたサッカー部で、精神面が鍛えられたこと。200人もの部員がいる中で、自分から動き出さなければチャンスはないのだと知った。ポジションはディフェンダーだったが、高校生のときは体が細く、大学でも先輩たちとは体つきのレベルが違っていた。だから、一生懸命にトレーニングして体作りに専念。自分で考えて行動するようになった。
転機となったのはゼミナールの先生の一言。サッカー部で思うように結果を残せなかった3年次生のとき、「将来、プロサッカー選手になれなかったら、何になりたいのか」と問われたのがきっかけで、国際学部での学びを生かし、旅行業界をめざすことを決意した。失敗を恐れず付加価値のある提案をしたい
大切にしているのは失敗を恐れないこと。もちろん、一つの判断ミスが損害につながることもあるので緊張感は常にある。しかし、自分の提案が反映されて実績となって数字に表れると、売り上げに貢献できたのだとやりがいを感じる。今、担当している福岡のホテルは外国人観光客の激減により、大打撃を受けている。ホテルの部屋数は飽和状態で、宿泊料金の値下げが予測される中、料金を下げることなく、どう付加価値を生み出せるかが課題である。ホテル側と地元の情報を共有しつつ、今後の方針を提案。相手の気持ちを大切にして一つひとつの仕事を丁寧に、信頼関係を築いていきたいと思っている。そして、いずれはアウトバウンドにも携われるプロフェッショナルになりたい。国内と海外、両方の仕入れを極めることが目標だ。
先生方の手厚いサポートでめざす大手企業に内定
そもそも国際学部へ進んだのは、当時、インバウンドが急激に増え、外国人に日本の魅力をもっと発信したいと思ったから。このビジョンを実現できるのは、旅行業界だと考えた。ゼミナールの先生にJTBに入りたい意志を伝えると、「生半可な気持ちで入れるような会社ではない。就職活動までに何ができるかを考えなさい」とアドバイスを受け、エクステンションセンターへ。旅行業務取扱管理者の資格取得をめざして勉強するうちに、やるべきことが明確になり、行動できた。キャリアセンターでも手厚くサポートしていただいた結果、JTBから内定の知らせが。先生に報告すると「次は何をしたらいいか考えなさい」と再び助言をいただき、就職はゴールではないと気づいた。
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勤務先福島労働基準監督署藤澤 健さん2011年 法学部 卒業(大阪府立 守口東高校 出身)
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働く人の気持ちに寄り添い、守る仕事
労働基準監督官は、企業が賃金や労働時間についてのルールを守らなかった場合に指導し、ルールに従わない場合は警察官と同様に、刑事事件として取り調べなどの任意捜査や捜索・差押え、逮捕などの強制捜査を行い、検察庁に送検することができる。私が担当したのは、大学生を講師に雇っていた学習塾。アルバイト料をもらえないために学生が辞めてはまた次の学生を雇うの繰り返しで、被害者は100人に及んでいた。自分も働きながら大学へ通っていたので、罪のない学生がそんな目に遭うのを黙って見てはいられなかった。もし自分が同じ目に遭っていたら...。そんな気持ちで解決にあたった。労働基準監督官とは、そんなふうに人に寄り添う仕事だと思う。
公務員をめざす仲間や恩師との出会いを糧に
OGUに入学したのは22歳のとき。経済的な理由でいったんは進学をあきらめたものの、実際に社会へ出ると、大学へ行きたいという気持ちがまた芽生えてきたため受験を決意。公務員をめざすきっかけとなったのは、「法律学研究会」に所属し、公務員志望の先輩たちに出会ったこと。公務員にも様々な職種があることを知り、2年次からは公務員試験対策講座を受講し始めた。ゼミナールの先生はもちろん、OGUの先生方は相談に来る学生にとても温かく、大変お世話になった。現役弁護士の先生も多く、公務員試験のための論文の添削をお願いすると、快く引き受けてくださった。そんな恵まれた出会いがなければ、労働基準監督官という仕事を知ることも、試験に合格することもなかったかもしれない。
復興のために働く人たちの安全を守る
現在所属している福島労働基準監督署の安全衛生課では、主に工場や建設現場などの安全な作業環境を守る仕事をしている。福島は今、東日本大震災からの復興が着実に進んでいる。福島第一原子力発電所では廃炉作業が行われ、その作業は実に40年間続くといわれている。クレーンなどの大型重機を使ったり、放射線量が高い中で作業したりするのは、危険と隣り合わせである。安全管理がきちんとできていなければ、新たな被害が出てしまう恐れもあるため、原子力発電所の中に入って、安全のルールが守られているかどうか調査し、指導にあたっている。この仕事は、多業種にかかわるため、大学で学んだどんな知識でも役に立つのがおもしろいところ。OGUで培った対人能力も生かしながら、今後も復興のために働く人たちの安全を守りたいという強い思いを胸に、日々業務にあたっている。
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勤務先函館大学付属有斗高等学校 教員後藤 康平さん2015年 経済学部 卒業(北海道 函館大学付属有斗高校 出身)
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現場のリアルを知りめざすべき教員像を見つけた
母校の教員になる。そして、バスケットボール部を全国大会に出場させる。それらの夢をかなえるために教職課程があり、スポーツが盛んでバスケットボールに打ち込める環境が整っているOGUに迷うことなく入学した。 教職課程の授業では、高校で教員経験のある先生方の話が特に興味深かった。高校の教育現場の現状、生徒や保護者への対応のしかた、今も悔いが残っていることなど、リアルな話に身が引き締まる思いがしたと同時に、自分がめざすべき教員像が明確に描けるようになった。 何よりよかったのは、先生との距離が近いこと。分からないことを気軽に質問できる環境は、バスケットボール部の活動と勉強で忙しい僕にとって大きな助けになった。そして、文武両道を貫いて教員免許を取得し、念願だった母校の教員に。まずは一つ、夢をかなえることができた。
実践的な学びと知識が教育現場で役立っている
教員になって1年目から堂々と授業ができたのは、模擬授業をたくさん経験したから。自分で作った学習指導案を基に、生徒役の学生と先生方に1時間の授業を繰り返し行うことで、時間配分や板書のしかたといった実践力を身につけることができた。 経済学部スポーツ経済コースでの学びと、「ウィンタースポーツが及ぼす経済波及効果」をテーマにした卒業論文で得た知識も、経済の授業で生徒の心をつかむのに一役買っている。2020年の東京オリンピックは、日本経済にどのような影響をもたらすのか。そんな話をすると、生徒の表情がみるみる変わっていく。「おもしろい!」「社会が好きになった!」そう言ってもらえると、素直にうれしい。
OGUの恩師の言葉を胸に生徒一人ひとりに向き合う毎日
教員になって心掛けてきたことが2つある。1つ目は、生徒の小さな変化から、それぞれが抱える悩みに気づくこと。そうすることで救われる生徒もいるはず。OGUの恩師の教えを思い返しながら彼らと真剣に向き合う毎日だ。 2つ目は、生徒の手本になること。「授業開始5分前には教室に入る」というルールを自分に課し、行動で示すことで、生徒の行動にも反映されると確信している。それを意識しながら生徒とコミュニケーションを取り続けてきたことで、入学時は目を見て話すことも挨拶をすることもできなかった生徒が「先生、ありがとう」と言って卒業していったときは、とてもうれしかった。 現在、3年生の担任として進路相談に乗ることも多い。生徒の人生を左右する決断をサポートするという重大な役割に、責任とやりがいを感じている。これからも、生徒と真剣に向き合いながら、共に成長していきたい。
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勤務先UNCHI株式会社 代表取締松村 貴大さん2010年 経営科学部 卒業(大阪府立 柴島高校 出身)
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先生の姿から学んだ理想のリーダー像
店先には行列ができ、目の前ではお客様が自分の作ったラーメンを満面の笑みですすっている――。そんなラーメン屋を構えるという夢のために、入学したのがOGU。自由かっ達な校風でアイデアが生まれやすい環境で卒業生には起業家も少なくない。けれど、アイデアだけで成功できるほど世の中は甘くないので、基礎から経営論を学ぼうと選んだゼミナールで、挨拶の大切さなど社会人としての心構えも教わったと同時に、学生を見守り、さりげなく手を差し伸べてくれる先生の姿から、理想のリーダー像が形づくられていった。
先輩の厳しさが成功の礎に
起業の礎は、講義のほか課外活動でも培われた。4年間所属した硬式庭球部では、授業の前後にみっちり練習し、自主トレにも取り組んだ。その後は、開店資金を稼ぐために深夜までアルバイトに明け暮れる毎日。1日24時間では到底足りない。ならば、時間を効率よく使えばいい。創意工夫する自分に、成長を感じた。先輩方には、練習だけではなく、挨拶のしかたまで厳しく指導していただいた。それが今、お客様にとって気持ちのいい「いらっしゃいませ! 」につながっている。年上の実業家の方々の経営ノウハウを間近で吸収できるのも、OGUでの経験のおかげ。社会人に必要な礼儀礼節を教わったからこそ、経営者の方々と同じ土俵に立つことができているのだと思う。
世界で愛されるラーメン屋をめざして
「ラーメン屋になる」という小さいころからの夢。実現したとたんに、違う景色が見えてきた。「もっとおいしいラーメンを提供したい」「居心地のいい店を作りたい」――。思いのまま追究しているうちに、ラーメン屋ではなく、実業家になっている自分がいた。昨年末、忘年会に参加した社員は66人。5年前、起業した年の忘年会は、たった3人だったことが昨日のことのように思える。今、ものすごいスピードで会社は成長し、海外出店に向けた準備も順調に進んでいる。1日24時間では足りない? いや、そんなことはない。だって今は、一人じゃないから。仲間となら、どんな困難も乗り越えられる。ゴールは、世界中で愛されるラーメン屋を作り、自分のラーメンで世界を変えること。夢はどんどん大きくなっている。
※掲載内容は取材当時(2017年度)のものです。
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勤務先株式会社AmidAホールディングス代表取締役 社長 CEO藤田 優さん1994年 法学部 卒業(大阪府 上宮高校 出身)
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サークルで培った集客ノウハウが起業の自信に
起業のきっかけは、インターネットとの出合い。パソコンで、父が経営する飲食店のメニューやPOP、ホームページを作っているうちに、サービスや商品を提供するようになった。 「ハンコヤドットコム」を起業したのは、車庫証明を取るために必要な実印が1週間経ってもできず、車はあるのに車庫証明を取れないという経験をしたことから。「1日でも早くオーダーメイドの印鑑を届けることができたら...」。そこに商機があると思い、起業。即日出荷できるシステムを構築し、今では1日に約2万5000人以上(2018年6月期実績)が訪れるサイトに成長した。この集客のノウハウは、学生時代にイベントサークルの代表をしていた経験から得た。どうしたら人を集められるのかと、勧誘チラシのデザインを考え尽くした結果、年間300人を超える人が入会してくれたことは、今でも思い出深い。
大学時代の友人が今の自分の基盤に
学業も大切だが、大学は友人作りにも欠かせない場。大学時代の友人が自分の人格形成に大きな影響を与え、未来を作ると考えていた。OGUには経営者の後継者が多く、今でも相談できる友人がいて、OGUの卒業生でよかったと感じている。 起業は1人でできても、経営は1人では絶対にできない。だから、友人しかり会社のスタッフしかり、人との縁は大切にすべきだ。そうすれば、うまくいかないことがあっても、後にうまくいくことが多いと思う。インターネットビジネスでは、お客様の姿は見えないけれど、見えているときと同じように丁寧な接客をしなければならないという父のアドバイスもずっと守っている。
社員を大切にする会社作りを心掛けて
起業してからずっと順風満帆だったわけではない。最初は正社員よりも学生アルバイトやフリーターを雇用していたため、社内にスキルが蓄積されず、苦しい事態に。そこから組織作りを見直し、めざしたのが上場だった。その目標を果たせた今、会社の規模や売り上げをさらに伸ばすことを考えている。お客様に満足していただくことで、雇用の拡大にもつながり、経営者として社会に貢献できると信じている。 会社の規模が大きくなると、仲間も増える。社員は今、約120名だが、何年か後には何千人、何万人と仲間を増やしたい。今後も経営者として、社員を大切にする会社作りを自分の課題としながら、突き進んでいきたい。
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勤務先株式会社パイロットコーポレーション島田 葉月さん2016年 短期大学部 卒業(大阪府立 守口東高校 出身)
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OGUでの学び一つひとつを業務で実践
私の職場での役割は、営業担当をサポートすること。書類の作成や整理をはじめ、クライアントへのメールや電話の連絡業務も任されている。総務・経理業務も担当しているので、やるべきことは多いけれど、すんなり仕事になじめたのは、OGU短期大学部での学びのおかげ。オフィスを模した演習室で、電話の取り次ぎや来客応対をロールプレイで学んだこと、冠婚葬祭ののし袋の書き方やふくさの包み方などを教わったことは、一つひとつが実務で役に立っている。分からないこともあるけれど、成長のチャンスととらえ、自分で調べたり先輩に教わったりして、できることは確実に増えている。それが今、一番うれしい。
オープンキャンパスが未来への懸け橋に
高校時代は、不確かな未来に悩む毎日。そんなとき、たまたま興味を持ったのがOGU短期大学部。2年間の学びのなかで何か一つでも夢を見つけられたら、という期待があったし、4年制大学と同じキャンパスで学べるのが魅力的だと思った。訪れたオープンキャンパスでは、在学生スタッフが親切にしてくれたのがうれしかった。「私もこんな大学生になりたい!」とあこがれを抱き、「OGUに行こう!」と決めた。入学後は、もちろんオープンキャンパスのスタッフに。友人の輪は4年制大学の学生まで広がり、大学生活が楽しくなった。授業は少人数制で指導も丁寧なので、理解も早い。学ぶうちに働く自分の姿が見えてきて「この仕事なら楽しくできそう!」と手応えを感じた。
目標に向かってもっと成長したい
在学中は、資格試験にも挑戦。勉強は大変だったけれど、友人と一緒だったし、先生もいつもそばで見守ってくださったので前向きに取り組めた。その後の就職活動中に紹介されたのが今の会社だった。愛用しているペンのメーカーと知って親しみを感じ、社是の一つ「三者鼎立」も心に響いた。「この会社で働きたい!」と社会に出る覚悟ができた。現在、入社2年目。普段から心がけているのは、営業担当に頼まれる前にサポートすること。感謝されると素直にうれしいし、仕事ももっと楽しくなる。最近、目標が見つかった。それは、同じ大阪学院短期大学※出身の上司のように気配りができ、尊敬される社員になること。精一杯取り組めば、もっと成長できるはず。そう信じている。※現 大阪学院大学短期大学部
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勤務先株式会社エイチ・アイ・エス近藤 晴美さん2017年 経営学部 ホスピタリティ経営学科 卒業(京都府立 山城高校 出身)
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海外研修への参加がきっかけで巡り合えた天職
オンラインで予約された航空券やホテルの手配のほか、お客様からの問い合わせに対応するのが、私の仕事。お客様と直接顔を合わせることがないからこそ、「楽しいご旅行になるように」と願いながら、日々仕事に励んでいる。 この仕事は天職。今は胸を張ってそう言えるけれど、高校時代はホテルで働くことを夢見ていた。大学生活を楽しみながらホスピタリティ精神を学びたい。2つを同時にかなえるために入学したのがOGUだった。 転機は、海外研修への参加。ずっとためらっていたけれど、ゼミナールの先生に背中を押されて、思い切って日本を飛び出した。1か月間のサンフランシスコでの研修は刺激的だった。雰囲気も文化も日本とはまるで違う。その場にいるだけで、たまらなく楽しかった。「この楽しさを多くの人に知ってほしい!」。旅行業界をめざそうと心に決めた。
公務員をめざす仲間や恩師との出会いを糧に
在学中は、海外研修のほかにも多くのことにチャレンジした。オープンキャンパスではスタッフとして高校生や保護者と交流。内定をいただいた後は、キャリアチューターとして就職活動中の後輩のサポートをしたことも。課外活動を通して他学部の友人も増え、学生生活が一層楽しくなった。 友人に誘われて参加した「ステキ☆塾」※では、料理研究家の方のご自宅で料理の盛り付け方や見せ方、手土産の選び方などを教わった。何より印象的だったのは、講師の方々がみんな輝いていたこと。そのあこがれが、いつしか「私もキャリアを積んで輝きたい!」という目標につながった。今、向上心を持って仕事に取り組めているのは、OGUで様々な経験ができたおかげだと思う。
学びを胸にめざせ、輝く私
現在、社会人2年目。先輩に教えてもらいながら、日々の業務に取り組んでいる。「予約時、パスポート番号を間違っていたため搭乗できない」「予約した航空券をキャンセルしたが、払い戻されていない」といった問い合わせやクレームに対応することもあれば、自然災害などで空港が閉鎖すると、ほかの空港への振替手配に追われることもある。 多忙なときも常に意識しているのは、ホスピタリティの答えは一つではなく、お客様一人ひとりに合った対応や言葉遣いを心掛けること。大変なことも多いけれど、お客様から温かいメッセージをいただくと、もっと頑張ろうと思える。まだ自分で判断できないことや先輩に頼ることもある。でも、いつか私ももっと輝けると信じて、仕事に励む毎日だ。
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勤務先オリックス・バファローズ金田 和之さん2013年 経済学部 卒業(宮崎県立 都城商業高校 出身)
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応援してくれる人がいてプレーできることに感謝
数万人の観客で埋め尽くされたスタジアム。降り注ぐ声援の中、すべての視線がマウンドに集中する。その緊迫感を打ち破るように投げる一球に、一瞬の静寂、そして湧き上がる大歓声。この気持ちよさこそが、プロとしてマウンドに立つ醍醐味だと思う。応援してくれる多くの方々の期待に応え、チームの勝利に貢献するために、ずっと大切にしている言葉がある。「練習はうそをつかない」。OGUの硬式野球部で監督やスタッフから言われ続けた、この教え通りに練習に練習を重ねて、僕はプロになった。そして今もなお、この言葉の重みを感じている。
OGUの仲間と過ごし一回りも二回りも成長
本格的にプロ野球選手をめざすようになったのは、高校生のとき。しかし、けがをしたこともあって高校卒業時に夢をかなえることはできなかった。まだあきらめきれていない僕の気持ちを察して、恩師が紹介してくださったのがOGU。硬式野球部には練習のための設備や環境が整っていて、よい指導者がいると教えていただいた。初めての大阪、初めての一人暮らし。関西弁になじめず、人見知りで自分から話をするのが苦手な僕に、野球部の監督やチームメイトは温かく接してくれた。練習や試合のときは一生懸命だが、それ以外のときはアットホームなチームの仲間と一緒に過ごすことで、気づけば一回りも二回りも成長していた。プロ野球選手になれたのは、どんなときも熱心に指導してくださった監督やチームメイトのおかげだ。
「練習はうそをつかない」この言葉を再びかみしめて
どんなに実力があり、才能があるプレーヤーでも、野球は一人ではできない。プロ野球選手にとって大切なのは、もちろんチームの中で戦力となること。けれど、結果を出すために大切なのは人間としてのつながりやチームワーク。チームの雰囲気がよければ、試合中の士気も上がる。OGU時代に、監督やチームメイトとの関係性の中で人として成長できたからこそ、今の僕がいる。これからの目標は、チームに大きく貢献できるよう日々練習に取り組み、チームとともに自分も成長していくこと。一試合勝てただけでも、その喜びをチームの仲間と共有できることはうれしいし、それが優勝となると、より一層喜びを味わえるのだと思う。とにかく今は1軍にいて、優勝したい。「練習はうそをつかない」。この言葉をかみしめ、今後もチームメイトと共に戦っていきたい。
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勤務先モンテディオ山形大槻 周平さん2012年 経済学部 卒業(京都府 福知山成美高校 出身)
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自分で考え、行動する力を今、サッカー選手として生かす
大学時代は、ほぼすべての時間をサッカーにささげた。僕よりうまい選手はたくさんいたから、人一倍努力を続けてきた。それが今、サッカー選手でいられる理由だと思う。 サッカー部の監督は、いつも僕たちの考えを尊重してくれた。そこで学んだことは、自分で考え、行動することの大切さ。プロになっても自分の発想でプレーすることが求められ、それができなければ生き残っていけない。学生のころから習慣づけていたことの結果が、今、形になっている。 プロとして何よりも大切なのは、試合に出続けること。ヴィッセル神戸からモンテディオ山形に移籍したのは、「J1昇格のための力になりたい」という思いがあったから。ヴィッセル神戸で戦い続けることもできたけれど、自分の可能性を広げ、価値を高めていきたい。そんな思いでの決断だった。
夢をあきらめずにいられた先生のあの言葉
OGUの先生は、学生一人ひとりに丁寧に対応してくださった。特にゼミナールの先生には、サッカー選手になるか、一般企業に就職するか迷っていたとき、「好きなことを仕事にするのが一番。夢に向かって頑張れ!」と背中を押していただいた。あのときの言葉がなければ、湘南ベルマーレの練習に参加して、プロになるチャンスをつかむこともなかったと思う。 夢に近づくために大切なことは、自分の能力よりも少し難しいことに挑戦すること。プロになってからも、いつも自分を変えたいという気持ちで挑戦を続けている。
いつかはOGUでプロの厳しさ、楽しさを伝えたい
ヴィッセル神戸では、ルーカス・ポドルスキ選手やアンドレス・イニエスタ選手と同じチームでサッカーができるという幸運に恵まれた。その試合を見に来てくれた大学時代の友人が、「試合を見て感動した」「仕事を頑張ろうと思えた」と言ってくれた。自分が頑張って結果を出すことで、みんなを幸せにできる。だから、できるだけ長くプロであり続けたいと思った。今の目標は、チームの熱い思いに応えて、J1昇格のための力になること。責任は重いけれど、先頭に立ってチームを引っ張れる存在になりたい。そして、いつかは指導者としてOGUの後輩たちに、自分が経験したプロの厳しさや楽しさを伝えていきたい。一人でも多くの後輩たちに、プロの世界を味わってほしいと思っている。
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